ご挨拶

 堅磐信誠幼稚園という字を文書作成ソフトで打ち出す際に、一旦『かたいいわにしんじるまこと』と入力し、『堅い磐に信じる誠』と変換してから、余分な仮名を消すと完成します。本園は120年を越える歴史を持っています。先人からの祈りに支えられ、神様に守られてきた歩みが、本園の名前に刻まれています。
 私自身は前職で高校生を相手に30年余にわたって、理科を教えてきました。10代後半の青年期、子どもから大人になっていく過程です。学校生活において様々な力が求められますが、特に重要な力は、次の二つではないかと痛感しています。それは、自己肯定感とコミュニケーション能力です。そして、これらの基礎が形づくられるのが、幼児期であると確信しています。
 本園“かきわ”の醍醐味は、遊びと礼拝です。遊びを通して、覗いて、触って、聞いて、嗅ぐ。礼拝を通して、祈り、話を聴く。一日の流れの中で、時に体を動かし、時に静かに待ち、言葉で表し、人に伝える。“かきわ”の子どもたちは、実に心豊かで、表情も表現も豊かです。そして何より、優しい。
 本園は通園バスも制服もありませんし、お弁当も要ります。子どもの育ちの中で、何が大切で、何が不要か、いつも、考え続けてきました。そしてこれからも、神様に守られながら、子どもも親も先生たちも、ともに歩んでいきたいと思います。

「縦と横の関係を大切にする幼稚園」

堅磐信誠幼稚園は縦と横の関係を大切にする幼稚園です。「縦の関係」とは、毎朝の礼拝や行事の中での礼拝、お祈りやさんびかによって神さまとつながることです。この縦の関係を軽んじてしまうと、いつの間にか私たちの保育は自己中心となり、目先の成果や利益、この世の要望のみに振り回されてしまいます。
教師たちが園児たちと礼拝をする時に、「堅磐信誠幼稚園は神さまの幼稚園なんだよね」と言うことがあります。いつも神さまの御心を第一とし、神さまに愛され、守られていることを感謝して歩む幼稚園、それが私たちの幼稚園です。そして神さまからいただいた愛は、横のつながりへと広がっていきます。家族と友だちと先生と地域の人たちと被災地の人々ともつながる「横の関係」を築きます。礼拝の中で、病気やケガで休んでいるお友だちを覚えて祈ります。すると今度、自分が休んでいる時に、みんなが祈って待っていてくれることを知ります。被災地の人々を覚えて祈る時、自分に何ができるかを子どもたちなりに考えます。そして行動に移します。そのようにして縦の関係から横の関係が形成されるのです。
このような縦と横の関係は子どもたちの成長のみならず、私たちが共に生きていく上でとても大切な「心の土台」です。

堅磐信誠幼稚園の子どもたちは、とても良く遊びます
堅磐信誠幼稚園は子どもたちの自らの遊びを大切にしています

 『遊び』は安心して過ごせるところがなければ育ちません。安心して過ごせる遊びの場を見つけた時、自らの意思で遊びを選択し、自由に遊ぶのです。教師やお友だちのしていることに刺激され、遊びが広がり、深まるようになります。教師は必要な時、かかわってあげたり、助けてあげたりするのです。
  赤ちゃんが生まれてから、手足に肉が付き、首が座り、腰が据わり、手指が上手に動くようになり、寝返りができるようになり・・・一人歩きが出来るまでを思い出してください。できるようになるまで何回でも繰り返しています。実に懸命な努力を楽しみながら繰り返しています。できるようになった喜びを、傍にいる大人が喜んであげることが、また次の段階へつながってくるのです。この姿のように、同じ遊びも繰り返しの中で、お友だちや教師のはげましの中で広がりや深まりをもち、しっかりと力をつけております。
  早期教育といわれるとき、早く文字が読めるようになるなど、目に見えるものを期待しがちですが、今しかできない一つ一つの遊びを大切にしていきたいものです。

創立から現在まで

 堅磐信誠幼稚園は1897年(明治30年)にA,L,コーツ宣教師によって開設された『潅園保育所』を源としています。民家を借用し、10名くらいの園児でした。
 1907年(明治40年)、矢場に新園舎を建築し、『堅磐幼稚園』、と改めました。1919年、尾頭町に姉妹園『信誠幼稚園』が設立されました。1924年(大正13年)、『堅磐幼稚園』と『信誠幼稚園』は合併して堅磐信誠幼稚園として当地での保育をはじめました。  その後、1984年(昭和59年)3月に園児減少の為、休園をすることとなりました。
 父母方から嘆願書が出され、4年間の休園期間を経て1988年(昭和63年)4月から再園することが出来今に至ります。
 神様の導きの中で、キリスト教精神に基づいた保育を今も変わることなく続けています。

旧園舎前にて

堅磐幼稚園時代の感謝祭